第11話
土鍋の力
純金の鍋でフグちりを楽しむ運送会社の鶴森会長。しかし、以前ほど料理を美味しいと思えなくなったという。山岡は、三十年間スッポン料理に使われ続けた土鍋を借り出し、豪華さとは別のところにある「道具の価値」を示そうとする。
この回はどんな話?
物語は、寒い日の東西新聞文化部から始まります。究極のメニューの現在のテーマを尋ねられた栗田ゆう子は、苦し紛れに「鍋です」と答えます。
その何気ない話をきっかけに、大原社主たちは運送会社の鶴森会長から料亭「ふく万」に招かれます。そこで振る舞われるのは、古九谷の皿に盛られたフグの刺身と、純金の鍋を使ったフグちり。いかにも豪勢な宴席です。
ところが鶴森会長は、去年まで美味しいと思っていた料理を、最近はそれほど美味しいと思えなくなったと漏らします。
山岡はそんな会長に「ただの成金から少し成長した」と言い放ち、翌日、もう一度同じ店を予約するよう求めます。
山岡と栗田が向かったのは、上野のスッポン料理店「まる一」。そこで山岡は、三十年間スッポン料理に使われ続けた古い土鍋を借り出します。
翌日、山岡がその土鍋に入れたのは、水と醤油と米だけ。しかし炊き上がるにつれて、鍋からは濃厚なスッポンの香りが立ち上ります。
長年使われてきた土鍋には、スッポンの旨味が染み込んでいたのです。
純金の鍋にはない「時間」が、料理を作っていた。鶴森会長はその味を素直に認め、自分自身の味覚が少し成長したことにも気づいていきます。
今回の重要ポイント
1|純金の鍋と三十年物の土鍋
今回もっとも分かりやすい対立は、純金の鍋と古びた土鍋です。
純金の鍋は高価で、見た目にも豪華です。一方、山岡が持ち込む土鍋は、見た目だけなら特別なものではありません。
しかし土鍋には、三十年間スッポン料理を作り続けてきた時間が蓄積されています。
ここで作品が示しているのは、単純な「高価なものより安いものが偉い」という話ではありません。
道具の価値は、素材の値段だけでなく、それがどのように使われ、何を蓄積してきたかによって生まれる。
純金と土という素材の対立を使いながら、価値の尺度そのものをひっくり返しているのが今回の仕掛けです。
2|「成金」からの成長
鶴森会長は、いわゆる叩き上げの成功者として描かれます。
国宝級の器や純金の鍋を好み、社会的な権威にも弱い。山岡から「ただの成金から少し成長した」と言われれば、当然怒ります。
しかし、この人物の面白いところは、自分の変化を受け入れる柔らかさを持っていることです。
純金の鍋に満足しているはずなのに、「最近は以前ほど美味しく感じない」と自分の違和感を認めている。
そして土鍋の雑炊を食べた後には、その美味しさを素直に評価します。
この回で変化するのは料理ではなく、むしろ食べる側の価値基準です。
3|料理人と鍋が作った三十年
山岡は、古い土鍋について「人間と鍋の共同作業」だと説明します。
これはかなり『美味しんぼ』らしい発想です。
料理人だけが料理を作っているのではない。包丁、器、鍋、火、そして時間まで含めて料理が成立している。
土鍋に染み込んだ旨味とは、単なる物理現象であると同時に、その店が三十年間料理を作り続けてきた歴史そのものでもあります。
4|フグで始まり、スッポンで終わる
少し不思議なのは、物語が高級なフグ料理から始まりながら、解決に使われるのがスッポン料理の土鍋であることです。
今回の題材が「フグ料理」なら、フグをより美味しくする方法で決着してもよさそうです。
しかし実際には、フグそのものについての議論はほとんどありません。
つまり今回の主役は料理ではなく、タイトル通り「鍋」そのものです。
フグもスッポンも、その違いを見せるための出演者に近い。料理漫画として見ると少し変わった構造です。
この回の構造を整理する
第11話は、一見すると「高価な鍋より古い土鍋のほうが優れている」という単純な話に見えます。
しかし実際には、いくつかの異なる価値観が重なっています。
-
素材そのものの価値
純金だから高価である。 -
道具としての価値
長年使われることで、土鍋そのものが料理に作用する。 -
歴史の価値
三十年間の料理人の仕事が一つの鍋に蓄積されている。 -
食べる人の成長
鶴森会長自身が、値段や権威だけでは料理を評価できなくなっている。
すると今回のテーマは、「金か土か」ではありません。
ものの価値を、値段ではなく時間と関係によって測れるか。
そこまで広げると、土鍋のエピソードと鶴森会長の変化がきれいにつながります。
細部から見る第11話
鶴森会長の「喜・哀・怒・楽」
今回、鶴森会長の表情はかなり丁寧に変化します。
最初は純金の鍋を前に満足そうな「喜」。
しかし「最近はあまり美味しく感じない」という、小さな「哀」が混ざります。
そこへ山岡から「成金」と指摘され、「怒」が生まれる。
そして土鍋の雑炊を食べた後、最後に現れるのが穏やかな「楽」です。
通常の「喜怒哀楽」ではなく、
「喜・哀・怒・楽」
という順番で見ると、この人物の感情の流れがよく分かります。
料理対決というより、一つの鍋によって鶴森会長の感情が整理されていく物語とも読めます。
東京五輪と大阪万博が示す三十年
土鍋の歴史を説明する場面では、若い料理人が鍋を見つめる姿から、東京オリンピック、大阪万博、太陽の塔などの映像が挿入され、その後に白髪の料理人が登場します。
これは単なる時代説明ではなく、
土鍋が三十年間育ってきた時間と、料理人が歳を重ねてきた時間を並行して描いている
と見ることができます。
若い料理人から老いた料理人へ。
新品の鍋から、味の染み込んだ鍋へ。
人間と道具が同時に成熟していく。
短いモンタージュですが、この回のテーマをかなり端的に表した演出です。
蕎麦屋の出前と昭和アニメ
三十年物の土鍋を運ぶ途中、山岡と栗田は自転車の出前と衝突します。
転んだ栗田に山岡が「大丈夫か」と声をかけ、栗田が嬉しそうに返事をすると、山岡は「君じゃない」と土鍋を心配する。
さらに山岡自身も落ちた蕎麦を踏んで転倒します。
本筋だけを考えれば完全に不要な場面ですが、こういう身体的なドタバタが入ることで、アニメ版『美味しんぼ』独特の軽さが生まれています。
ちなみに画面を見ると、落ちているのは天ぷらそばです。
「君じゃない」に見える雄山の血
転倒した栗田より土鍋を心配する山岡。
もちろんコメディ場面ですが、料理や道具となると周囲の人間への配慮が突然消えるあたりには、どこか父・海原雄山と似たものがあります。
山岡が雄山の権威主義を批判しながら、ときどき同じ種類の偏りを見せるのも初期シリーズの面白いところです。
木製の部署表札
東西新聞文化部には、学校の教室札のような木製の部署表示が登場します。
現在のオフィスではあまり見なくなった意匠ですが、こうした背景美術には制作当時の職場文化がそのまま残っています。
食文化だけでなく、昭和末期の会社風景を記録した作品として見ても『美味しんぼ』はかなり面白い資料です。
「土鍋の力」とは何だったのか
タイトルだけを見ると、土鍋という道具の性能を紹介する回に思えます。
しかし、今回描かれる「力」は単なる熱伝導や保温性ではありません。
三十年間、同じ料理を作り続けたことで生まれる蓄積。
料理人が鍋を使い、鍋が料理を変え、その味を食べた客がまた店を支える。
そこには、人、道具、料理、時間の循環があります。
だから今回の土鍋は、ただの調理器具ではありません。
料理店の記憶を保存する媒体
として描かれています。
今回の料理・食材
今回の器・道具
今回の店・場所
- ふく万
- 鶴森会長が大原社主たちを接待する高級料亭。純金の鍋を使ったフグちりが登場する。
- まる一
- 上野にあるスッポン料理店。三十年間使われ続けた土鍋を山岡に貸し出す。
この回の見どころ
第11話「土鍋の力」は、豪華な純金の鍋と古びた土鍋を対比させることで、「高いもの=良いもの」という単純な価値観をひっくり返すエピソードです。
しかし、それだけなら「成金趣味を笑う話」で終わってしまいます。
重要なのは、鶴森会長自身もすでにその価値観に違和感を抱き始めていることです。
山岡が土鍋を使って教えたのは、新しい知識というより、会長自身が薄々感じ始めていたことに形を与えることでした。
さらにアニメ版では、若い料理人、東京オリンピック、大阪万博、白髪の料理人という時間のモンタージュによって、鍋の成熟と人間の成熟が重ねられています。
良い道具とは、高価な道具ではなく、人間と時間を共有してきた道具なのかもしれない。
そう考えると、「土鍋の力」というタイトルが指しているのは鍋そのものの性能ではなく、その中に積み重なった三十年間なのだと見えてきます。



